「開業医の年収は高い」という話は、どこかで耳にしたことがあると思います。
厚労省の医療経済実態調査によると、個人診療所の損益差額は約2,600万円。勤務医の平均年収1,480万円と比べると、確かに大きな数字です。
ただ、この2,600万円がそのまま手元に残るわけではありません。ここから借入返済・税金・社会保険料を差し引いた実質手取りは、額面の50〜60%程度になることが多い。
それでも勤務医より高い場合が多いのですが、重要なのは「その数字がどういう構造から生まれているか」を理解しておくことです。
構造を知らないまま開業すると、何が起きているのかわからないまま経営が苦しくなります。
この記事では、クリニックの収支モデルを固定費・変動費・損益分岐点という3つの軸で整理します。
収入の構造:クリニックの売上はどこから来るか
クリニックの収入のほとんどは「診療報酬」です。保険診療の場合、患者が支払うのは1〜3割で、残りは健康保険組合・国保などから支払われます。
そしてこの診療報酬が入金されるのは、診療した月の翌々月です。
診療報酬が入金されるのは2ヶ月後で、開業直後は収入がゼロでも支出は発生し続けます。
人件費・家賃・リース料は、患者が来ていなくても毎月出ていく。
だからこそ開業前に運転資金として最低6ヶ月分を手元に置いておくことが必要になるのです。
一般的な内科クリニックを例に取ると、月間売上(医業収益)の目安はおよそ600〜800万円前後です。
患者数で換算すると、1日30〜50人、月22診療日で660〜1,100人来院しているイメージです。診療科によってこの数字は大きく変わります。
固定費:患者が来なくても出ていくお金
固定費とは、売上の多寡に関わらず毎月必ず発生する支出のことです。クリニック経営では、この固定費の水準が経営の「体力」を決めると言っても過言ではありません。
主な固定費の内訳と目安は次の通りです。
人件費(最大項目) クリニックの人件費率の目安は月間売上の20〜25%程度とされています。院内処方の無床クリニックでは15〜20%、院外処方では20〜30%程度が一般的な適正値です。
月売上700万円のクリニックで約140〜175万円が人件費の目安になります。看護師・受付事務を合わせた人件費の総額です。院長の報酬はここには含まれません。
看護師1名で月給30〜40万円、医療事務スタッフは月給20〜30万円が相場です。スタッフ3名を雇用する場合、給与だけで月額80〜120万円が必要です。 これに社会保険料(給与の約15〜20%)が上乗せされます。
賃料 都心部の好立地では月額100〜200万円、郊外でも50〜100万円程度が相場です。賃料は売上に対して10〜15%以内に抑えることが経営安定の目安とされています。
月売上700万円であれば、賃料は70〜105万円以内が適正範囲の目安です。これを超えると経営が苦しくなりやすい。
借入返済 開業資金5,000万〜1億円を20年返済で借りた場合、月々の返済額はおよそ20〜50万円前後になります。この元本返済は「経費」にはならない点に注意が必要です。
損益計算書上の利益から返済するため、帳簿上は黒字でも資金繰りが苦しいという事態が起きやすい。
その他の固定費 リース料(医療機器・電子カルテ)・光熱費・通信費・医師会費・保険料などが月15〜30万円程度かかります。
これらを合計すると、月間固定費は一般的な内科クリニックで330万円前後になるケースがあります。診療科・立地・規模によって175〜310万円前後が目安です。
変動費:売上に連動して変わるお金
変動費は、診療量が増えるほど増える費用です。クリニック経営では、変動費の種類は比較的少ないのが特徴です。
主な変動費は、医薬品費・医療材料費・外注検査費の3つです。クリニック経営では、医療材料費・医薬品・外注検査費が変動費と理解して問題ありません。
院内処方のクリニックでは薬品費が変動費の大部分を占めます。
院外処方(処方箋を外の薬局に出す)に切り替えると、薬品費という変動費はほぼゼロになる代わりに、処方箋料という収入が減ります。どちらが有利かは診療科・患者層・薬局との関係によって変わります。
変動費率(売上に占める変動費の割合)は診療科によって異なりますが、一般内科では15〜20%程度が目安です。
損益分岐点:「何人来れば黒字になるか」
損益分岐点とは、固定費をちょうどカバーできる売上高のことです。この水準を下回ると赤字、上回ると黒字になります。
計算式はシンプルです。
損益分岐点売上高 = 固定費 ÷(1 − 変動費率)
内科を例に取ると、月売上650万円・材料費+外注検査費122万円・固定費331万円の場合、損益分岐点は416万円となり、1日29人の来院で初めて利益が出始めます。
これを「必要患者数」に換算することが重要です。
損益分岐点の売上高 ÷ 1患者あたりの平均診療単価 ÷ 月間診療日数=1日あたりの必要患者数、という計算です。
開業前に「この立地で1日何人来るか」を診療圏調査で推計し、その数字が損益分岐点を超えているかどうかを確認する。これが収支計画の核心です。
「年収2,600万円」の構造を読み解く
損益差額2,600万円という数字の意味を、改めて整理しておきます。
これは「売上から経費を引いた差額」です。
ここから個人であれば所得税・住民税・国民健康保険料が引かれます。最高税率55%(所得税45%+住民税10%)が適用される水準の収入になると、額面の半分近くが税金になります。借入返済の元本もここから出ていきます。
結果として実質手取りは損益差額の50〜60%程度。2,600万円であれば1,300〜1,560万円前後が実態です。
勤務医の手取りと比較すると、それでも高い水準である場合が多いのですが、「2,600万円がそのまま使えると思っていた」という誤解で開業する医師が後を絶ちません。
医療法人化すると法人税率(中小法人で最大23.2%)が適用されるため、損益差額が大きくなった段階で節税効果が生まれます。
一般的に損益差額が3,500万円を超えたあたりから法人化を検討するケースが多い。ただしこれは開業後数年経ってからの話です。
収支モデルを「自分の数字」に落とし込む
ここまで一般的な目安を見てきました。ただし、これはあくまでも参考値です。
診療科・立地・開業形態(戸建て/テナント/医療モール)・スタッフ構成・院内処方か院外処方か、これらの条件が変わるだけで、固定費も変動費も損益分岐点も大きく変わります。
開業準備の早い段階でやっておくべきことは、「自分のクリニックの固定費はいくらになるか」を仮置きして計算してみることです。
家賃・人件費・借入返済の3つだけでも積み上げてみると、「1日何人来れば黒字か」が見えてきます。
その数字が現実的かどうかを診療圏調査と照らし合わせる。その作業が、「なんとなく大丈夫そう」ではなく「数字で納得した」開業につながります。
私自身、多くの医師の開業に立ち会ってきました。うまくいった開業に共通していたのは、スピードではなく、納得感でした。
焦らず、ここで少し整理していってください。
この記事の延長にある話を、3つだけ。
